アメリカ、ヨーロッパのX線,ガンマ線アーカイブスの状況

海 老 沢  研

〈INTEGRAL Science Data Center, Chemin d'Ecogia 16, CH-1290 Versoix, Switzerland〉

e-mail: ebisawa@obs.unige.ch

 1980年代後半から,日本,アメリカ,ヨーロッパでX線天文学の研究を行いながらX線天文アーカイブスの開発に従事してきた経験を基にして,アメリカとヨーロッパを中心に世界のX線,ガンマ線アーカイブスの歴史を振りかえり,その現状を紹介する.

1.X線,ガンマ線天文学とアーカイブス

 X線,ガンマ線天文衛星のデータは,観測者の手に渡る前に,一時的にせよ必ず何らかのデータベースに保管される.よって,「データベース天文学」がX線,ガンマ線の分野では通常の観測的研究の手法ということになる.以下では,慣習に従い「アーカイブス」という用語を用いるが,それは,データが汎用フォーマットで長期間保存され,インターネットを通じて簡単にアクセス可能で,観測者による占有期間が過ぎたらそれを使って得た科学的成果を自由に発表できるシステムを指す.地上観測のように気象条件に左右されたり観測の現場に居なければ取得したデータの解釈ができない,ということがないので,元々の観測者も何年も後にアーカイブスに入ったデータを解析しようとする人も,データの質,解釈に置いて,全く同じスタートラインに立っている.それが,X線,ガンマ線天文学に代表されるスペースからの観測天文学の大きな特徴であり,これによってアーカイブスを使った研究が非常にやりやすいものになっている.

2.データの公開,アーカイブス化

 一昔前のX線,ガンマ線天文学の世界では,検出装置を作ったグループがそれを使ってデータを取得するという実験物理学の色彩が濃く,グループ以外の研究者がデータを使うことは難しかった.近年,X線の結像や分光技術が進歩し,X線天文学が成熟するに伴って,観測装置を作ったり衛星の運用には関わらず,様々なX線天文衛星にプロポーザルを書いてデータを取得して研究を行うX線天文学者の世界的なコミュニティーが形成されてきた.ガンマ線天文学も,それに追従してユーザーのコミュニティーが広がりつつある.

 今日では,ほとんどすべてのX線データが観測提案者や検出器チームによる占有期間(典型的には一年)の後にアーカイブス化されるので,観測提案を書かずにアーカイブスデータだけを使って研究することも可能である.アーカイブスデータの取得はインターネットを用いて容易で,ほとんどの解析ソフトウェアも安価なPCで走るようになっている.よって,原理的には,世界中どこにいても,また専門的な研究機関に所属していなくても,PCとインターネットさえあれば最先端のX線天文学の研究が可能である.

 そのような衛星データのアーカイブスを構築するには,十分な人的,金銭的なリソースを投入することはもちろんだが,それ以前に,検出器チームにキャリブレーション等の情報公開を約束させ,元々の観測者にデータの占有権を放棄させる,という政治的な決断が必要である.長年検出装置や衛星の開発に従事してきて,やっと得た貴重なデータを只で公開することに,検出器チームの側から抵抗があっても当然だからだ.しかし,様々な衛星アーカイブスの整備が進み,自分たちが取ったデータの占有権を放棄するのと引き換えに,他の衛星や他の人の取ったデータも自由に見ることができる,という「give and take」のシステムに,今や世界中のX線,ガンマ線天文学者は満足しつつあるようである.

 実際,世界的な流れは,X線,ガンマ線天文衛星データの完全なアーカイブス化に傾きつつある.1990年代に各国から打ち上げられたX線天文衛星,ROSAT, ASCA, XTE, SAX, Chandra, XMMに関しては,すべてのデータがすでにアーカイブス化された,あるいはされることになっている.私は現在,ESAが今年の10月に打ち上げ予定のガンマ線天文衛星INTEGRALのデータセンター(ISDC)1)で働いているが,INTEGRALではガンマ線衛星として初めて,すべてのデータとソフトウェアがアーカイブス化されることが決まっている.また,データの占有期間も,将来的には短縮されていく方向にあるようだ.たとえば,2004年にNASAから打ち上げ予定のSWIFT衛星では,ガンマ線バーストを検出したらリアルタイムでデータをプロセスし,即座にデータをアーカイブス化し,公開することを目指している.また,NASAが2010年頃までに打ち上げを計画している Constellation-X衛星でも,すべての観測データをただちに公開することが検討されている.

 NASAのX-ray Timing Explorer (XTE) 衛星は,観測後即座にデータを公開する試みが成功した先駆的な例である.XTEは,太陽パネルを自由に動かし,素早く姿勢を変化させて,広い範囲で観測天体を即座に切り替えることができる.この能力をフルに生かし,X線新星等の興味深い天体が現われたら,衛星マネージャーの判断で頻繁にスナップショットの観測を行った.こういうデータは世界のX線天文コミュニティーの共有財産として即座に公開された.XTEの観測装置自体は決して技術的には新しいものではないが,その運用形態とデータ公開のポリシーのおかげで,数々の成果を生み出し,また,それまでのX線天文学の研究スタイルを変革した.たとえば,XTEがモニターしているような明るいX線天体に興味を持っている研究者は,苦労して観測プロポーザルを書かなくても,観測したてのデータをダウンロードしてきて解析し,論文を書くことができるのである.今後,観測装置の性能向上に伴い,さらに暗い活動的銀河中心核などのデータも即時に公開されるようになれば,人より先に観測データを取得することが何より重要だった今までの観測天文学の研究スタイルを一新することになるかもしれない.

3.世界のX線,ガンマ線天文学アーカイブスの歴史

 私自身,X線天文学が専門であり,1980年代後半に宇宙科学研究所で大学院時代を過ごし,その後アメリカ,ヨーロッパで仕事をする過程で,X線天文学アーカイブスの発展の過程を開発者とユーザーの両方の立場から見てきた.以下では,個人的な体験を基にして,1980年代後半から現在までの世界のX線天文学のアーカイブスの歴史を振り返ってみたい.

 「ぎんが」衛星が上がったのが1987年.「ぎんが」のデータ解析は,日本ではFACOM等のメインフレーム コンピューターの上で行っていた.当時はコンピューターネットワークが発展しておらず,国内の諸機関に「ぎんが」のデータやソフトウェアを配布したり,主観測装置を作ったイギリスのレスター大学にデータを送る際には磁気テープを郵送していた.レスターでの解析システムは,独立にVAXのミニコン上で開発したものだったようである.そのような状況に置いて,当時は日本の研究者にとって,日本以外のX線衛星データの解析はほとんど不可能であったし,外国の研究者にとっても,「ぎんが」の解析をするには宇宙研まで来る必要があった.データのアーカイブス化,すなわちデータやソフトウェアをいろいろなアーキテクチャーの上で使えるようにして,長期間メインテナンスする,という発想はほとんどなかった.実際,1991年に「ぎんが」が落ちた後は「あすか」の開発が忙しくなってきたこともあり,宇宙研でも「ぎんが」の解析ができるスタッフ,大学院生の数がみるみる減っていった脚注1

 その頃,ヨーロッパやアメリカにはアーカイブス システムというものがあり,すでに寿命を負えたEXOSAT衛星やEinstein衛星の解析が誰にでもできるようになっていると初めて耳にした.Einstein氏の写真をカバーに使った,アーカイブスデータの格好良いCD-ROMセットが突然アメリカから宇宙研に送られてきて,その気前の良さにびっくりしたことが印象に残っている.そのデータフォーマットは,当時やっとX線天文学でも使われるようになってきた,機種依存性のないFITSフォーマットであり,マッキントッシュの上で画像を見ることができた.マッキントッシュの上でデータ解析ができるという事実と,元々医療用に開発されたという,その無料のソフトウェア(NIH image)の出来の良さにも感心した.

 ドイツからROSAT衛星が,アメリカからGRO衛星が上がったのが,それぞれ1990年,1991年のことである.これが1990年代から2000年代に続く,高エネルギー天文学の全盛期の幕開けとなった.しかし,どちらの衛星も最初は普遍的なFITSフォーマットを採用しておらず,またきちんとしたデータアーカイブスができるとは保証されていなかった.よって,日本のX線研究者にとっては,まだ自分たちがこれらの衛星のユーザーになるとは思えなかった.また,当時はインターネットの黎明期で,ネットワークを使って大量データを転送したり,画像や文書等の情報を交換することはほとんど不可能であった.

 宇宙研で「ぎんが」衛星のデータを使って博士号を取得,一年の学振を経て,1992年にNASA/GSFCに移動し,発足してまもないASTRO-D(のちにASCA=「あすか」)Guest Observer Facility (GOF) で働くことになった2).アメリカのASCAユーザーのサポートをするというのがその大義名分である.ASCAの打ちあげ前はROSAT衛星を使った研究が最先端で,GSFCの研究者がROSATの観測プロポーザルを必死で書いていた.しかし,当時はROSATのデータは特殊なフォーマットで保存されており,可視光用のパッケージであるIRAFに基づいた解析システムも決っして使いやすいものではなかった.

 1993年に初の日米協力X線ミッションとして宇宙研が上げたASCAは,NASAが関係したX線天文衛星の中でも,データをFITSフォーマットで保管し,すべてのデータをアーカイブス化すると決められた,最初の衛星であった.初めてのことなので,どのようなフォーマットでX線イベント情報を保存するか等,ASCA GOFにとっていろいろと試行錯誤の連続であったが,振り返って見ればそれが大変良い勉強になり,あすかアーカイブスで用いられた様々な手法が,その後に続くX線衛星に大きな影響を与えている.

 GOFのように,アーカイブスデータやソフトウェアを広く公開,配布するのが本命である機関にとって,当然コンピューターネットワークは重要な役割を果している.1993年後半頃からワールドワイドウェブの導入が進み,アーカイブスのユーザーインターフェースはそれまでのコマンドラインに基づいたものからグラフィカルなものに一変した.その後は,ウェブページの整備がGOFの大切な仕事の一つになり,また,ユーザーにとってもアーカイブスデータの検索,ダウンロードが非常に容易になった.ワールドワイドウェブの出現によって,アーカイブスをフルに活用した高エネルギー天文学の研究は真に実用的なものになったと言って良いと思う.

 1996年には,イタリア-オランダ共同のBeppoSAX衛星が打ち上げられた.BeppoSAXは主観測装置があすかと良く似ていることもあり,イタリアとGSFCの研究者が共同で,あすかと非常に良く似た解析システム,アーカイブスシステムを完成させた.そうして既存のソフトウェアをできるだけ活用することにより,安価に短時間でシステムを完成させることができた.また,ユーザーにとっても,あすかの経験があればすぐにBeppoSAXの解析も容易にできるので,打ち上げ後間もない時期から,多くの論文が発表された.これなどは,NASA/GSFCが主導して進めてきた,X線天文衛星のデータフォーマット,解析ソフトウェアの標準化の産物と言っても良かろう.

 そして,現在の,さらにあと数年は続くであろうX線天文学の黄金時代が,1999年,NASAのChandra衛星とESAのXMM衛星の打ち上げによってもたらされた.Chandraは位置分解能,XMMは有効面積において過去のX線天文衛星よりも飛躍的に優れている.さらにエネルギー分解能に秀でたASTRO-Eが成功していれば,日米欧のX線天文衛星の完璧なトリオが完成したはずなのだが,ASTRO-Eの軌道投入失敗により,それは2005年打ち上げ予定のASTRO-E2衛星に残された課題となった.これらのX線衛星に加えて,ESAのINTEGRAL(2002年),NASAのSWIFT(2003年)とGLAST(2005年)という各ガンマ線衛星が打ち上げを待っている.

 これらの衛星のデータは将来的にはすべてアーカイブス化される予定で,その大量で高精度のデータを解析しつくすには,膨大な時間と人手がかかるであろう.そのためにも,長年の使用に耐えうる,使いやすく信頼のおけるアーカイブスシステムの構築が非常に重要になってくる.私自身もINTEGRALとASTRO-E2衛星の解析,アーカイブスシステムの開発に力を尽くす一方で,他のいろいろな衛星データも使って,X線,ガンマ線で新たな宇宙の姿を見ることを楽しみにしている.

4.アメリカのX線,ガンマ線天文学アーカイブス脚注2

 アメリカのX線,ガンマ線天文学アーカイブスの中心は,NASA/GSFCのHigh Energy Astrophysics DataArchival Science Center (HEASARC)である3).HEASARCの設立目的は,まさに世界のX線,ガンマ線天文衛星のアーカイブス データ センターを作ることであり,1990年の設立から10年少々を経て,その目的はほぼ達成されたと言って良いだろう.HEASARCにアクセスすれば,すでに寿命を終えた,あるいは現在稼働中のほとんどすべての衛星のアーカイバルデータを,その解析ソフトウェアと共に取得することができる.その活動のひとつの目安として,HEASARCは2001年末の時点で2430ギガバイトのアーカイバルデータを保有し,2001年中に2252ギガバイトのデータがダウンロードされたと言う脚注3

 さて,今をときめくChandra衛星のアーカイバルデータは,HEASARCからは直接取ってこれない.ハーバード大学附属,Center for Astrophysics (CFA)にある Chandra X-ray Center (CXC) が,そのアーカイブスを管理しているからだ.GSFCとCFAは,高エネルギー天文学の研究でもプロジェクトにおいてもライバル関係にある.Chandra衛星と検出器の開発もそうであったが,その解析ソフトウェアとアーカイブスの開発はCFAが中心になって行い,GSFCはほとんど貢献していない.HEASARCが開発したftoolsと呼ばれるポピュラーな解析パッケージがあるのだが,それに対して,CXCがChandra用に開発したciaoがある.ftoolsとciaoを備えていれば,ほとんどすべての衛星の解析ができるようになっている.

 HEASARC,CXCに加えて,最近頭角を現わしてきたのがスタンフォード大学のGLASTチームである.GLAST衛星は多くの研究機関にまたがった大プロジェクトで,そのアーカイブスやユーザーサポートの輪郭はまだはっきりと見えてきていないが,そのソフトウェアの開発はスタンフォード大学が中心になって行っている.素粒子物理学者が天文学に興味を示しているのは世界的な傾向のようだが,スタンフォード大学でも新たに素粒子天体物理学(Particle Astrophysics)という分野に力を入れて,GLASTの開発とそれを使った研究を行っていくようである.スタンフォードでも,HEASARCやCXCでやっているようなユーザーサポート,アーカイブスの整備をやっていくのかもしれない.

 さて,一般的にアメリカの天文アーカイブスは良く出きているが,その成功の背景には公的なお金を使って行った事業の成果はすべて民衆に還元されねばならない,という理念があり,またそれを必ず実行させるようなシステムの存在がある.たとえば,HEASARCの運営は,他の多くのアメリカの研究プロジェクトと同じように,基本的に「ソフトマネー」と呼ばれるプロジェクトごとの予算に頼っている.計画と予算をNASAに提案(プロポーザル)し,競争に勝ち抜いて認可されたら予算が降りる.その予算で人を雇ってプロジェクトを実行,成果が上がっていれば継続,上がっていなければ打ち切りということである.HEASARCプロジェクトに携わっている終身雇用の国家公務員は,2人がそれぞれ半分足らずの時間を費やしているだけで,残りの研究者,プログラマ,ウェブデザイナー等,合わせて10人強の専従の人材は,終身雇用ではない.よって,このようなソフトマネーに頼っているスタッフは,必死でユーザーサポートを行うことによってアメリカ国内外におけるHEASARCの評価を高める努力をし,その仕事の重要性をアピールする.

 その成果を評価するのが二年に一回のシニアレビューである.例えば2000年6月に行なわれたシニアレビューの公表結果4)の一部を,図1に示す.ここでは,現在あるいは近い将来のいろいろな衛星,地上観測,データセンターのプロジェクトが評価の対象となっている.データセンターでは,HEASARCは,系外天体のデータベースであるNED,天文学論文データベースのADSに次いで高い評価を得ていて,これらの機関の人たちはほっと一安心というところであろう(HEASARCのドアの入口にこの図が張ってあった).その一方で最低に評価されたGSFCのNSSDCについては,シニアレビューが,近い将来に他機関への統合あるいは廃止も視野に入れた再編成を提案している.

 アメリカでは深刻な社会問題が起こるたびに,NASAが宇宙開発や研究など浮世の事柄に膨大な予算を使っていることに対する疑問の声が国民の中から沸き上がってくる脚注4.そういう国民の疑問に対して,NASAに限らずすべての公的機関は,税金の使い道をはっきりと説明すること(アカウンタビリティー,説明責任)が社会から厳しく要求されている.天文衛星アーカイブスのように情報を広くパブリックに公開することが本命であるプロジェクトには,その国民の持っている,公的なプロジェクトはいかにあるべきか,税金はいかに使われるべきか,という考えが必然的に反映されるわけで,アメリカの天文学アーカイブスの成功の背景には,アメリカ社会による絶えざるアカウンタビリティーの追求があると言えよう.

5.ヨーロッパのX線,ガンマ線天文学アーカイブス

 ヨーロッパのX線,ガンマ線天文衛星には,各国独自のミッションとヨーロッパ宇宙機構(ESA)のミッションがあり,その規模もプロジェクトの進め方も異なる.たとえば,ROSATはドイツのミッション,SAXはイタリアとオランダの共同ミッションであるのに対し,XMMとINTEGRALはESAのミッションである.一般的に,一つの国では抱えきれないほど大きなミッションはESAが担当することになっているようだ.また,私が現在住んでいるスイスのように自国だけでは衛星を上げられない小国がスペースサイエンスを行うには,ESAのミッションに参加するしか方法がない.

 ROSAT衛星に関しては,その開発,運用,データプロセスを一手に引き受けていたマックスプランク研究所が,アーカイブスも管理している.ROSATは運用初期には全天をスキャンしながらサベイを行っており,このデータは長らく公開されずマックスプランク研究所が占有していた.そのおかげで,マックスプランク研究所にある全天サベイのアーカイブスについては,優れたものができている.SAX衛星についても,イタリアにアーカイブスがあるが,HEASARCに置いてあるSAXアーカイブスと比較して独自性が少ないように思われる.ROSATとSAXどちらのアーカイブスにも共通して言えることだが,小人数の研究者が長時間かけてじっくりとデータを解析していて,その傍らこつこつとアーカイブスの整備を行っているという印象を受ける.たくさんのユーザーに対してより良いサービスを行うことで飯を食っている,という印象はないが,長いタイムスケールで研究を実行し,サポートものんびりとやっていくのがヨーロッパのスタイルなのだろう.

 一方,ESAのミッションは,ROSATやSAXのような国別のミッションとはやり方が大きく異なる.ISDCの紹介記事1)にも書いたが,衛星や観測機器の開発,運用,データプロセス,解析ソフトやアーカイブスの開発等の様々な仕事を,国境を越えた公共事業として加盟国に公平に割り振るというのがESAの重要な使命になっている.例えば,XMMやINTEGRAL衛星の衛星構体,検出装置はヨーロッパ各国で別々に開発されたものである.また,そのオペレーションセンター,受信局はドイツやスペイン等に散らばっていて,XMMのデータはイギリスに,INTEGRALではスイスに送られてプロセシングされる.XMMの解析ソフト,アーカイブスの開発,ユーザーサポートはイギリスのレスター大学にあるXMM Survey Science Center (SSC)で行われ,INTEGRALについては,ジュネーブにあるISDCで行う.

 XMM SSCで開発されたXMMの解析ソフトはSAS (Science Analysis System)と呼ばれ,HEASARCのftoolsやCXCのciaoに対応するものである.SASは衛星が上がった当時はうまく走らず,大きな修正を余儀なくされたと言う.しかし,XMMの打ち上げから二年を経て,SASもかなり使いものになってきたようだ.また,XMMのデータアーカイブスも,観測が進むにつれ徐々に充実してきたようである.XMMは撮像用に視野の広い二つのCCDカメラ,分光用に二つのグレーティングを搭載しており,そのすべてが同時にデータを取得する.分光に興味を持っている観測者は,CCDカメラのデータを全く解析しないまま,データがアーカイブスに入ってしまうことも多いようだ.また,十分感度の良い光学モニターも搭載しているのだが,そのデータにもほとんど手がついてないらしい.そういう意味でもXMMのデータアーカイブスは,今後,非常に大きな科学的成果を生みだすポテンシャルを持っている.

 さて,ESAの衛星プロジェクトでは,元々衛星が大きいことに加え,多くの国,研究機関が関与することによって,NASAのようにほぼ一国でプロジェクトを行う場合に比べて物事がはるかに複雑になり,スムーズな実行には困難が伴いがちである.私自身,ISDCで仕事をしながらそれを日々実感している.ヨーロッパ各国にプライドがあり独自性を出したがり,その裏返しでお互いに遠慮もあるので,異質のものを無理やりまとめているようなところがある.たとえばINTEGRAL衛星の解析システムを例に出すと,いろいろな国で書かれたコードの実行形式を内容を理解しないままシステムコールして一つのプログラムに無理矢理まとめる,というようなきわどいことをやっている.また,開発者に対して,こういうシステムはユーザーには使いにくいのではないか,とコメントをすると,いや,このやり方は何年も前にすでに決定したことだからどうしようもない,というような官僚的な反応が返ってくる.プロジェクトは上から降ってくるという意識があり,残念ながら,視線がユーザー,広い意味での納税者の方を向いていないと感じる.

 このような問題の背景に,ESAではNASAと匹敵するほど莫大な予算を使っているにもかからわず,ヨーロッパの社会に国境を越えてアカウンタビリティーを追求するシステムが存在してないという問題があるようだ.ESA加盟国の国民は自国に対して税金を払っているが,ESAが各国からの分担金を集め,それをまた加盟国に配分するシステムを取っているので,各国民にとって,ESAが自分たちの税金をどのように使っているか,非常に見えにくくなっている.ヨーロッパ共同体(EU)は,人の交流を完全自由化し,ついに通貨まで統合したが,次の課題は国境を越えた司法システムの確立だという.私が感じているような国境を越えたアカウンタビリティーの欠如も,それと同じ文脈で長い時間をかけて解決していくべき課題なのかもしれない.

 いずれにしろ,様々な困難を承知の上で国際的な大プロジェクトをいくつも手掛けているESA,そしてそれを支えているヨーロッパの社会は,そういうプロジェクトを通じて文明社会の未来のあるべき方向を見据えているのかもしれない.ユーロ導入の目的の一つは,各国が独自の通貨を発行して臨時の軍事費を調達することを不可能にして,実質的に戦争を始められないようにすることだと言う.同様に,ESAの目的の一つには,多くの国家が協力して平和目的に限った宇宙開発を積極的に行うことによって,宇宙空間の軍事的利用を妨げることがあるそうだ.そういう目で見てみると,いろいろな国が一緒になって,様々な難関を克服していくこと自体が,ESAのプロジェクトの真骨頂なのかもしれない.衛星を上げて使っていくのは一国だけでできるかもしれないが,そういう営みを通して世界をより良いものにしていくためには,たとえそのほうが困難が多いとしても,たくさんの国で一緒にやったほうが良いのだと.

6.将来に向けて

 最後に,これまでに述べてきたことと関連した話題で,日本の天文学の将来に関しての雑感を述べて終わりたい.まず,アカウンタビリティーの重要性である5).最近,日本に帰国するたびに,省庁,大学や研究所が大きく変革しつつあることがよくわかる.この動きの背景には,税金の使い道をわかりやすくするシステムを作る,競争原理を導入し,人事を柔軟化して,研究,教育を活性化し効率を上げる,という目的があると理解している.それがうまくいくかどうかはわからないが,仮に国立大学や国立研究所がなくなったとしても,天文学の研究は基本的に公的なお金に頼っていくことに変わりはないだろう.そして,この変革の時代において,天文学も含んだ基礎研究の研究者の間に,自分たちが研究を続けていくためには,その研究の意義を納税者や行政の長に正しく伝え,理解させる必要がある,という健全な危機感が生まれつつあるようだ.「なぜ日本人は天文学研究に税金を使わねばならないのか」という国民の問いに対して,天文学者自身による,多くの国民が納得するような力強い言葉を聞いてみたい.また,具体的に金額を出して,基礎研究は意外に安上がりであること(たとえば高速道路の建設に比べて)を国民に納得させることも重要だろう.

 もう一つ指摘したいことは国際協力の重要性とそのサポートの必要性である.私は日本で一年間の学振を終えた後は,アメリカで働いていたときも,スイスで働いている今も,給料はNASAから貰っている.海外で長く生活する上で,仕事に関してはほとんど困ったことはないが,障害となりうるのは,むしろ健康保険,年金,税金,子供の教育等,福利厚生やロジスティクスの面である.私のような外国人に,そういう面まで面倒を見てくれているNASAとアメリカ,スイスの社会には感謝しているが,アメリカやスイスの側にとっては,国民一人を大学院を終えて,一人前の仕事ができるまで教育するよりも,外国で教育を終えた外国人を雇ったほうが安あがりだという計算もある.一方,日本には,基礎研究の分野で人を海外に出したり招待したりするポスドク制度はあるが,数年間腰をすえて海外で働こうという日本人,あるいは日本で働こうとする外国人の研究者を雇用する公的な制度が全くと言っていいほど存在しないことが残念である.天文学のような基礎研究には,利害が絡まないからこそ安心して国際協力ができるという強みがある.基礎研究の分野で様々な海外のプロジェクトに日本人が貢献したり,日本で外国人が安心して研究できる環境を整えたりして人の交流を盛んにすることが,日本の国際的な地位を高め,国益につながるのだ,という視点が必要だろうし,その意義を積極的に国民に伝えていくことも重要だと思う.

 最後に,日本のスペース アストノミーの将来について言えば,近い将来,ヨーロッパでESAがやっているように,東アジアの近隣諸国と一緒にやっていく可能性を検討することになるだろう.政治的には不安定でぎくしゃくした地域であるだけに大変な苦労を伴うことであろうが,国境を越えた基盤を持った天文学者こそが,そういう困難な仕事を実行する力を持っているのではないか.そして,観測天文学のように宇宙の平和目的に限った国際協力が実現したとしたら,それは必ずこの地域に緊張緩和と相互信頼醸成をもたらすはずだ.我々天文学者は,天文学の研究が国益や安全保障のためにもなるということを,政治家や国民に堂々と話しかけることをためらう必要はないだろう.

脚注1:その後,やっと2000年の夏になって,私が宇宙研を訪問した際「ぎんが」のテレメトリーファイルを汎用のFITSフォーマットに変更しUNIXに移植した.それが契機となってメインフレーム上の「ぎんが」解析システムのUNIXへの移植が宇宙研を中心に進められている.

脚注2:「あすか」のアーカイブスはGSFCに置いてあるが,これは日本とアメリカの共同作業の所産であることは言うまでもない.

脚注3:http://heasarc.gsfc.nasa.gov/docs/heasarc/stats/stats.html

脚注4:http://www.nasa.gov/qanda/why.htmlにNASAに対するFAQがある.その一つが,まさに「Why not reduce the amount of money spent on space exploration and increase spending on social programs?」というもの.それに対し,国税のわずか1%がNASAに振り分けられていて,これだけのお金で社会をいきなり良くすることはできないが,NASAではこれを国の将来のための貴重な投資として使っている,と答えている.

図1:2000年6月に行なわれたNASAのシニアレビューによる衛星,地上観測のサポートとデータセンターの評価4).費用対効果が定量的に評価され,これを参考にしてNASAが各プロジェクトにかける予算が決定される.2MASS:地上観測による全天の近赤外(2ミクロン)サベイ.RXTE:NASAのX線天文衛星.XMM:ヨーロッパのX線天文衛星.HETE-2:NASAのガンマ線バースト観測衛星.FUSE:NASAの遠紫外衛星.ISO:ヨーロッパの赤外線天文衛星.SWAS:NASAのサブミリ波天文衛星.EUVE:NASAの紫外線衛星.VSOP:日本の電波干渉計衛星.AGILE:イタリアが計画しているガンマ線天文衛星.以下はすべてアメリカ国内のデータベースまたはアーカイブス.NED:系外天体のデータベース.ADS:天文関係の論文データベース.HEASARC:高エネルギー天文学アーカイブス.MAST:スペーステレスコープ研究所にある多波長データベース.IRSA:赤外線天文学データベース.NSSDC-ADC:天文,惑星科学のデータベース.多くの主要なプロジェクト(たとえばChandra)が,このレビューの対象にはなっていないことに注意.

参考文献

1)海老沢 研 2002,天文月報(4月号),95,194

2)海老沢 研 1996,天文月報(7月号),89,290

3)海老沢 研 1996,天文月報(8月号),89,341

4)"Report of the Senior Review of Origins and Structure and Evolution of the Universe, Mission Operations and Data Analysis (MO&DA)Programs", 2000,

http://spacescience.nasa.gov/admin/divisions/sz/SenRev00.pdf

5)カレル・ヴァン・ウォルフレン,「日本という国をあなたのものにするために」,2001年,角川書店

X-ray and Gamma-ray Astronomical Archives in the United States and Europe

Ken Ebisawa

INTEGRAL Science Data Center, Chemin d'Ecogia 16, CH-1290 Versoix, Switzerland